乞巧奠(きっこうでん)
鹿児島地方気象台は2日、鹿児島県の奄美地方が梅雨明けしたとみられると発表しました。沖縄の梅雨明けが6月17日でした。ですからこの辺りの梅雨明けは例年どおり7月19日ごろなのでしょう。ちなみに7月19日は小生の誕生日です。
暦を開いてみましたら、7月2日のところに「半夏生」と記されていました。
半夏生(はんげしょう)は、陰暦七十二候の一つ、夏至の第三候、すなわち、夏至から11日目の7月2日ごろで、農家では田植えが終わり、一般的には〝つゆあけ〟といわれています。半夏生という言葉は、半夏生(半夏生草、片白草、三白草)という薬草が生ずる頃という意味といわれています。ドクダミ科の多年草、日本列島から朝鮮半島、フィリピンまでに分布している植物です。高さは1メートルくらいにまで伸び、全体に臭気があり、心臓形の葉が互生し、6、7月ごろに白い細かい花をつけ道ばたにたくさん咲いています。和名は、半夏生のころ、梢に半面だけ白い葉を生ずるからで、別名をカタシログサ・ミツシログサと呼ばれている花というより草にちかい植物です。
今日7日は「小暑」、文字どおり「ちょっぴり暑い時節なのだ!」ということなのでしょう。しかし、現実は空梅雨のうだる暑さ、気象衛星「ひまわり」の映像を見ますと、雲一つない日本の輪郭が映し出されています。
なにか変な異常気象の気配を感じます。世の中の進歩、変革に人間はもとより、自然の営みも付いていけないのではないでしょうか。
7月7日の七夕は、牽牛と織女の恋人たちに技芸の上達を祈って供え物をする「乞巧奠(きっこうでん)」の祭事に由来するのだそうです。
その技芸の上達とは、江戸時代には習字と裁縫、さかのぼって古くは詩歌管弦の上達を願いました。
西暦691年(持統5年)7月7日の記録には、「公卿(くぎょう)ニ宴シ、ヨッテ朝衣ヲ賜ウ」としるされています。また、734年(天平6年)の記録には、「天皇ハ相撲戯ヲ観ジ、コノ夕、御南苑(ぎょなんえん)ニ渉リ、文人ニ命ジ七夕ノ詩ヲ賦(うたわ)シメ、禄ヲ賜フニ差アリ」とあります。今週から始まった大相撲の天皇杯は、さかのぼりますと、この時代の「七夕の行事」がルーツなのかもしれません。
七夕は、牽牛と織女、すなわち夜空を代表する彦星と姫星が1年に一度のデートをする日とされています。どのカレンダーを見ても、7月7日の欄に「七夕」と記されています。
しかし、実際にこの二つの星が親密に接近するのは8月に入ってからです。7月7日の織女星のベガと牽牛星のアルタイルは、天の川をへだててまたたいていますが、7月の宵ではふたりの高度はまだ低く、旧暦の7月7日ごろになりますと、宵の空高くにふたりのデートを観察することができるのです。
また、太陽暦の7月7日はまだ梅雨の真っ最中ですので、このふたりの姿を見ようとしても見られるものではありません。七夕祭はやはり旧暦で行うのがふさわしいようです。今年の旧暦7月7日は、新暦の8月7日にあたり、そのころのふたりは、宵の空高く舞い上っています。西の空には上弦に近い舟形の月がかかり、いっそう風情をかもし出してくれます。もしかしたら、ふたりで舟遊びを楽しんだのではないか、などと想像を豊かにしてくれます。
また、万葉集を紐解いてみますと、万葉集には長歌と短歌をとりまぜて133首の七夕歌がありました。面白いことに、いずれも宴席においての式典歌で、美しい星空のロマンは詠われていません。と言うことは、当時、七夕祭は、宮中の厳粛な儀式の一つだったような気がします。
天の川露立ちわたりひこ星の楫(かじ)の音聞ゆ夜のふけゆけば 柿本人麻呂
もう一つ面白いことを見つけました。この柿本人麻呂の歌は、日本の「妻問い婚」の姿でしょうか、「彦星が天の川をわたって姫星を訪ねる姿」を歌っています。
七夕は秋の季語、万葉集も「秋の雑歌」の中に「七夕(1996~2095)」がありす。梅雨の明ける夜空を待ちながら万葉集を開いてみることにいたします。
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